焦る理由~タイムラグ

【なぜ、私は焦るのか】

食料生産の道に入ってから16年。完全な無肥料・無農薬栽培の研究を始めてから13年になります。食料については、ずっと前から、資源の枯渇、食料危機といった問題は存在していて、それがいままさに顕在化しています。

 

Halu農法という技術に到達して思うことは、現代人のほとんどが「想像力」を失ってしまい、大切なことが認識できなくなっているように見えることです。もはや気力も体力も失っているので、「昨日と同じきょうを生きる」しか選択肢がなくなっている、という言い方ができるかもしれません。

 

何の話をしているのかというと、いまの社会は「食っていくために働け」と洗脳されます。もちろん、お金で買う食べ物は酷い質のものばかりですが。それはさておき、「食うために働く」という話を、百歩譲って受け入れるとして、「食い物を作っている農家が、食えないから離農する」という現実をどうみるでしょうか。

 

現代社会の食料生産の仕組みは、とっくに崩壊しています。そして…

 

たとえば、現時点の話として、遠からず景気後退、大量失業、食料不足が訪れると予測されています。すでに統計上は、企業の倒産件数は増え、金融システムは大きく変わろうとしていて、どこかの時点でドカッと庶民へのしわ寄せがくると思っています。

 

さて、失業して、スーパーにも食べ物がなくなったとします。その可能性はゼロどころか、結構高い確率でそうなると思っています。そのとき、たとえば「田んぼや畑を手伝わせてほしい。給料は要らないから、食べ物だけでも分けてほしい」と大勢が私の元に来るとしましょう。知り合いの農家を頼るのでも良いです。その人たちを受け入れることができるのかどうか。

 

「給料要らないなら、働いてもらえばいいではないか」と思われるでしょう。しかし、そうはいきません。分け与える食べ物が手元にないからです。

 

私自身は稲作の勉強を始めているし、家畜の飼育も始めています。野菜は無肥料無農薬でいくらでも育てることが可能です。しかし、それでも、いきなり大勢を受け入れることは不可能なのです。

 

いま私が作る食料は、いまの仲間たちで分け合うことが前提で、不特定多数の人に分けることを前提にしていません。また、肥料や農薬があったとしても、普通の農家も、毎年同じようにしかお米や野菜を作れません。つまり、37%という食料自給率をいきなりあげることはできないのです。

 

まず、米や麦、野菜を増産するための田んぼや畑がありません。つまり、人手がいくら大量にあったとしても、やることがない。ならば田んぼや畑を造成すればよいわけですが、造成して米や野菜ができるまでの数か月から半年の間、食べ物はありません。

 

それどころか、新しく造成した農地では、まずまともに栽培できないですし、そもそも素人がいきなり新規参入しても、技術的にどうしようもないでしょう。

 

これが、「私の焦る理由」です。食べ物をつくる技術(スキル)は一朝一夕に身に付くものではありません。つまり、数年のタイムラグがある、ということなのです。そして、農地の造成、開拓も同様です。「窮地に追い込まれたら農家になる」という選択肢は、ありそうであり得ない選択肢なのだ、ということに、ひとりでも多くの人が気付いてくれれば、それによって救われる人も出てくるだろうと思います。しかし、いまの日本人で、そこに考えが至る人は、残念ながらほとんどいません。

栃木県那須塩原市で、自給コミュニティづくりにチャレンジじています。「Halu創命牧場だより」の動画を配信しています。

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