情報の読み方講座

情報の目利き力、発信力を養う

世界は激動期に入っています。マスメディアやSNSで発信される雑多な情報の洪水に飲まれることなく、冷静に、かつ力強く生きていくための技術を身につける講座を開設します。どんな情報にも惑わされず、確かな足取りで世の中を歩いてみませんか。

目的と概要
目的は、あらゆる情報の収集、分析、判断、表現まで一貫して処理できる能力を身につけること。世界の激動期にあたって、マスメディアやインターネットに流される雑多な情報に振り回されることが多い時代です。そもそも情報とは何か? 私たちはなぜ、何のために情報を収集し、利用するのか?

情報を扱う専門家でありプロフェッショナルをジャーナリストといいます。しかし、いまジャーナリストという職業にうさん臭さを感じる人が多いのではないでしょうか。そもそもジャーナリストとは何者なのか? ジャーナリズムの目的は何なのか? 根本的なことから学び、実践力を養います。

そして、この講座を受けることによって、情報の目利き力を養い、周囲に愛を伝え、幸せにする情報発信者になっていただきたいのです。もちろん、本物のジャーナリストとしての活動を始めることも可能になるでしょう。

ジャーナリズムとは何か?
英語ではjournalismと書きます。もとになっているjournalの語源は、こよみの一日(dies、day)から来ており、転じて日誌とか雑誌という意味に使われています。そして、その日誌や雑誌作りを担うのがjournalistです。同じような言葉に、journeyがあります。日本語では旅とか行程と訳されています。語源から考えると、「日々の記録をするための旅」、あるいは「取材」といった感じでしょうか。

では、ジャーナリズムは何のために存在するのでしょう。ただ、目の前に起きたことを描写して書き残せば良いのでしょうか。あるいは、聞いたことをそのまま書き残せば良いのでしょうか。誰が、何のために記録を残すのか。それこそが重要なポイントです。

子孫に何を残したいのか
記録を残すということは、当たり前ですが後世に役立つことを目的にしています。ただし、何に、どう役立てるのか、実は具体的なイメージがありません。それが現実です。ジャーナリストは、歴史家ではありません。歴史家は、過去の記録から何かを学ぼうとする人たちです。それに対し、ジャーナリストは未来に何かを残そうとする人たちです。
もちろん、未来といっても、いま同時代に生きている人たちに向けても情報発信します。それは、いまという時の積み重ねによって未来が形づくられるからです。

ところが、いまのジャーナリズムは、未来を見ていません。「いまこの瞬間」だけを切り取り、不安を煽り、どこかの暗闇に誘導・扇動するための道具になっているように見えます。
「それこそが日々の記録であり、ジャーナリズムだ」という主張もあるでしょうし、現実にその考え方が世界の主流なのかもしれません。しかし、それは偽物だと思います。

私自身が全国紙の記者を辞め、ジャーナリストという仕事から離れたのも、それが大きな理由です。私にとってのジャーナリズム、ジャーナリストの役割とは、もっと遠い未来を見据えたものでなければならなかったからです。

では、この講座でいうジャーナリズム、ジャーナリストは、何を目指すのでしょうか。それはずばり、「愛のある社会を築くための情報収集と発信」です。

この世に生まれてきた人間は、何人たりとも迫害されることなく、愛のあふれる平和な社会に生きることができる。それが私自身の目指す理想です。ジャーナリズムは、まさにそんな社会をつくるために存在する。その哲学が、私のジャーナリスト人生を支えてきました。そして、それが変わることは決してありません。

入門講座を開く理由
この講座は、当初「ジャーナリスト入門」と名前を付けようとしましたが、目的はジャーナリストを養成することではなく、あくまで質の高い情報集力や発信力を養うことです。そこで「情報の読み方講座」としました。

この講座を受けた方に望むことは、「どんなテーマでも良いので、愛にあふれた情報発信をしてほしい」ということ、そして、「その情報を受け取った人たちが幸せになること」、ひいては「愛のあふれる社会を子孫に残すことにつなげること」です。

そのために、情報収集の仕方、判断する目、表現する文章力や映像編集力を身につけ、磨いていく。それが講座を開く理由です。

千里先を見通し、千年先の未来に思いを馳せる
大学を卒業し、新聞社に入った最初の研修で、会社の役員が言いました。「新聞記事は、読者の半歩先を書かなければいけない。一歩先では遠すぎる。半歩先だ」。これを聞いた私は、全身でこの話を拒絶していました。半歩先という距離感は理解できました。あまりにも遠くのことを書いても、読者の共感は得られません。しかし、半歩先というのは、いったいどこを向いた半歩先なのでしょう。「いま楽をしたり、安心したりする安易な半歩先」なのか、それとも「子や孫が幸せになる世の中を目指しての苦難の半歩先」なのか。歩き出す方向は360°あります。どこを向いても半歩先は半歩先です。しかし、遠い目標のない半歩先ほど無責任な誘導はありません。

「新聞記事の役割は、100歩先を見通しての半歩先ではないのか?」

そのことが、1986年に入社したときからずっと心の底にくすぶっていました。会社を辞めたのは1998年です。入社して12年半後のことです。その後、フリージャーナリストを名乗って福祉や教育、まちづくり活動のさまざまな現場を渡り歩いてきましたが、日本の国がどんどん壊れていく現実を、ただ指をくわえて見続けることしかできませんでした。私は2007年にジャーナリストであることから完全に離れると同時に、「人類の存亡が食と農の改革にかかっている」という信念から、農業技術の研究の道に入りました。

結果的には、この農の道は、私自身のジャーナリストとしての資質も高めてくれたように思います。政治、経済、福祉、教育、医療のどれをとっても、これまで人間目線でしかとらえることができませんでしたが、自ら大地を耕し、農作物を育てる実践こそが、自分に足りないピースをすべて埋めてくれたように思います。

いまでこそ実感できるのは、古代ギリシアの大哲学者アリストテレスの残した言葉は、やはり未来の子どもたちの幸せを願っていたものだということです。彼をはじめ過去の賢人たちはみな「人類は自然の一部である」との自覚を持ち、愛にあふれた人類社会の未来を願っていたのです。

ひとむかし前の日本では、「国家百年の大計」という言葉が流行りました。しかし、百年という時間は実はとても短く、私たち人類にはそぐわない時間感覚であることが明らかです。2011年には「千年に一度」という東日本大震災を経験しています。少なくとも人類は、「千年先を見越した今」を生きなければいけないのです。そして千年先の愛にあふれた社会づくりをいっしょに目指していただきたいのです。

従来のジャーナリズムを超える
私自身が農の道に入って10年あまり経った2020年初頭、新型コロナウィルスの世界的なパンデミック(感染爆発)が起こり、社会システムの急激な変革が起き始めています。この未曽有の危機に直面して、ジャーナリズムは市民を安心させるどころか、ただ不安を煽り続ける「異形の何か」に変貌しています。

すでに従来のジャーナリズムは機能していませんし、むしろ大衆を欺く悪者になっています。また、SNSの発達によって、個人が思い思いに情報発信することが可能になりましたが、反面、訓練を受けていない一般の人たちが、独断と偏見で情報を垂れ流し、拡散していくことで、余計に社会が混乱に陥っています。

これからの時代は、新しいジャーナリズムを興すタイミングだと思います。すべては未来の子どもたちのために。

募集要項